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東日本大震災から三年たって思うこと。過去と現在と未来。


今日で震災から三年たちましたね。

僕自身は震災のことは生涯忘れることはないけど、ここにちょっとした昔話を書こうと思います。
誰かに向けてってわけじゃないけど、自分の気持ち的になんとなく3年目の今日書いとこうかなって。

他人の昔話なんか誰も興味ないと思うから、読みたくない人は下のリンクと写真だけでも是非見てってください。もし読んでくれる人がいたら、なんか伝わったらいいなって、そのくらいの気持ちです。

※御遺体の写真とかは載せてませんが、街の写真は載せてます。もし壊れた街を見て、気分を害しそうな方は見ないでください。



震災当時、僕は美容師をやめて、全国ふらふら旅をして、お金が尽きて東京に戻ってきた頃だった。
仕事はとりあえずその日暮らしの日雇い派遣社員。
その日稼いだぶんで生活する、あまったお金で家賃を払う、みたいな。

東京で震災のニュースを聞き、 津波の映像を見て、すぐに被災地に行かなきゃと思った。
東北を旅して僕が出会った100人以上の人の中にはもしかしたら被災した人もいるかもしれないと思ったが
旅で貧乏になりとにかく金がなかった。

日雇いを休めば家賃を払えなくなるから、今はいけない。
じゃあとりあえず募金しようと下北沢駅前で財布をひっくりかえすと53円しかなかった。
情けないことに家にも銀行にも財布にもそれしかなくて、全財産を募金した。

それからスーパー節約をしてしばらく働かなくてもいいくらいお金を貯めた。
といっても家賃と交通費が貯まったくらいだった。
そして直接手伝おうと、福島県いわき市に人生初のボランティアに行った。

ただ、旅で出会った東北の人達に優しくしてもらったこと。
その人達に返せなかった恩を、今度は僕が誰かに返さないといけない。
と、そんな気持ちもあった。


いわき市とか行ったことなかったけど、あえてそこにした。
宮城、岩手のほうが被害が大きいことは知っていた。
でも、当時のいわきは風評被害がすごかった。

地震、津波、原発、放射能、さらに風評被害と4重苦。
そのうえ津波の被害は比較的少ないから報道もあまりされてなかった。
だから、人手が足りないだろうと思いあえてそこにした。

初めてその光景をこの目で見たときのことを僕はぜったい忘れないと思う。
言葉にすると「悲惨」とか「ぐしゃぐしゃ」とかそんなのなんだろうけど
とても言葉にできるもんではなかった。

とにかく行ってしまえばやるだけだと
朝から荷物運びや土砂かきなどをしてた。
そして臭かった。とにかく最悪なニオイに気持ち悪くなりつつ作業した。







金がないから野宿しながらだったから三日目くらいから体が痛くてちょっと失敗したとさすがに思った。
あと食料も買えないだろうと思ってたから東京から持ってきてたけど
意外と街中は平穏で、店もやってたから普通に買えた。

全国各地方からたくさんのボランティアさんが来ていて、そのかた達にご飯ごちそうになったり、車で寝させてもらったり、実はかなり助けてもらったりした。
なかでも佐賀から21時間バスにのってきてた人達にはすごくびっくりだった。


その後、いわきで出会った福島の人と仲良くなり、その人をつてに福島にはたぶん7回位くらい行った。
しばらくボランティアはしなかった時期もあるけど、去年は南相馬市に何度かボランティアに行った。
ちょうど1年くらい前初めて行った時の南相馬市は衝撃だった。

2年たってるのにまだあちこちで車や船がひっくり返っていた。
家も道路もぼこぼこのまま、ライフラインも止まったまま。
津波が来たという場所も含め、民家の庭とか、たんぼとか、草ボーボーだった。

南相馬市は"旧"警戒区域に入っていたから、まだほとんど震災当時のままってところが多かった。
"旧"というのも2012年に「警戒区域」と半径20km立ち入れなかったところが放射能の少ない地域だけ立ち入りオッケーになった。南相馬市小高区もオッケーになった地域だった。

オッケーなんだけど、住むことは出来なくて、日中のみ入ることができるだけの時間が止まったような町。
正直、そんな状況なのをテレビでも見たことないし僕は全然知らなかった。
テレビのせいにしちゃいけないけど、みんなそうなんじゃないかな。

みんな知らないだけ。
もう終わったんでしょ?と思う。
ぶっちゃけ僕も旧警戒区域を見るまではそう思ってた。







そこでコツコツ復興活動をしているボランティア団体がいて、警察も打ち切ってしまった、まだ見つからない行方不明の方の捜索活動をしてる人達のことを知り、ただただ何とも言えない気持ちになった。
今まで知らなかったことのショックと、自分も何かしなきゃと、漠然とそんなことを思った。

住めるようになるかわからないという地域なんだけど、でも人手を必要としてる人達がまだいるんだったら、僕らはなにか出来ることからしたほうがいいんじゃないかな。
まだ終わってないし、むしろ始まってない所もあるし、、、。

そう思って、僕自身はたまーにボランティアに行きつつ、東京で働く店では募金箱をおいてみたりもした。
よくわからない団体宛ではなく南相馬で国より早く活動をはじめたこちらの団体の運営資金として募金させてもらった。


南相馬市活動ボランティアセンター

南相馬市活動ボランティアセンター

それから個人の団体「福興浜団」
福興浜団の記事

団長の上野さん自身も二人のお子さんが見つかってないし、家も壊れたけど、今でも捜索活動などしている方。
お会いしたときも、いろいろ話してくれた。


他にも僕は震災後、福島では旧警戒区域の楢葉、富岡、浪江。
原発周辺で許可証がないと今でも立入禁止の大熊、双葉。
宮城は亘理町、仙台市、石巻市、南三陸町、気仙沼市に行った。

それぞれいろんな事情があり、本当に大変なのはどこも同じだった。
なかでも特に考えさせられたのが亘理町と気仙沼だった。
亘理町ってどこ?それが僕の行く前の正直な感想。

たぶんほとんどの人が知らないとであろう亘理町は、宮城と福島の県境にある町で、地震と津波の被害が大きかったところ。
だけど、報道されないから誰も来てくれなかった。と、亘理町のコンビニのおっちゃんがなげいていたのが印象的だった。

そのすぐ後に行った気仙沼では震災後二年以上たっているにもかかわらず、一日100人とかのボランティアが今だにあつまってきていた。
それだけ大きな被害があったのはわかるけどちょっとおどろいた。

もう一つ考えさせられたのが、気仙沼で慰霊碑のまわりに花壇を作るボランティアをしたときのこと。
その場所は杉の下地区という住民のほとんどが亡くなってしまったところ。200人以上の方がなくなったらしい。

海から高さ15メートルのところにあった避難所に当時たくさんの人達が避難所してきた。昼間だったこともあり、若い人は仕事に行ってて、お年寄りばかりが避難してきた。

そこに18メートルの津波が来て、全員流されたらしい。全員・・・。
僕が立ってた慰霊碑がある場所が、まさに避難所があってたくさんの人が亡くなった場所だった。

何とも言えない悲しい気持ちになったと同時に、その場所にたって海を見たときにあんなに低いところにある海面がここまできたんだと思うと本当にゾッととした。ここまで津波が来たなんて想像する事さえできなかった。





僕は今まで人が死ぬ原因って、寿命、事件、事故、自殺、せいぜいこのくらいのもんだと思っていた。
平和な日本で戦争なんてないだろうし。

震災後、被災地に行き、この目で見たもの、どのように人が亡くなったのか聞いた話、いろいろ感じたことのおかげで考え方が変わった。
本当に人間はいつ死ぬのかなんてわかんないんだなーと思った。

次にまた何か大災害が起きた時に、最悪なことにならないように、知識として持ってたらいいものもあると思う。
ちょっとした選択とか、準備してて良かったもの、いらなかったもの、もつべき防災への意識だったり、そういうことを僕は被災した方たちから聞くことができた。


そして、ボランティアセンター長が言っていた「復興のために1人が100歩前進するよりも、100人が1歩前進」という言葉を聞いて、この被災地のこと、聞いた話、見たことを誰かに伝えたいと思った。
伝えて一人でも行ってくれたらいいなとかそんな感じだった。

だから、行ったことない人にいろいろ話したり、また、facebookにいろいろ書いて見たり、募金箱をおいてみたりしたけど、現場を見てない人には何故かこの「いろいろ」をうまく伝えることはできなかった。

反応はそんなになく、むしろ温度差を感じたこともたくさんあった。
ワールドカップの時みたいにちょっと興味を持ってもすぐ終わる。
他人のことはやっぱり興味がないから。

結局震災って一種のブームみたいなものだったのかな。
そんなことを思うようになり、なんとなく僕自身、被災地がどうとかあまり人に話さないようになった。

自分がやればいいし、いつか嫁とか子供とか家族が出来たらこの場所に連れてきて、学校で教わらないような話しをしてやれたらいいかな。とかそんなふうに思うようになっていた。


そんな時、この前の2月の話だけど、前代未聞の大雪がふって地元山梨が孤立してしまった。
テレビではあまり報道されず、地元が大変なのに僕は行くことも出来ずに東京でモヤモヤしまくってた。

そんなときにfacebookで岩手からわざわざ車を運転して雪かきに来てくれている人のことを知った。
しかもまだ中央線も高速も通行止めのとき。

その人は被災して、その時いろんな人に助けてもらったから。と、今度はこっちの番だよ、と来てくれた。その人がかっこよすぎて、僕ももう一度なにかしようと思って、こうしてブログに昔話として書いてみた。



つまらない内容だったかもしれません。そう感じた方にはすいません。

でも最後にボランティアセンターとNHKの復興の記事のリンクと2013年の写真をすこし貼っておきます。
街の写真は載せさせてもらってるけど、御遺体などの写真は載せてません。

ボランティアセンターのサイトは活動内容などわかると思います。
ぜひ覗くだけでも見てください。

ながながと文才もないのに書いてしまったけど、ここまで読んでくれた方がいらっしゃいましたら、本当にありがとうございました。


いつか復興したと言える時まで、僕らはやらなくちゃいけないかなーとただただ思う。


・・・亡くなった方々、ご冥福をお祈りします

NHK NEWS
↓↓↓
被災地の今をみつめて


データで見る震災三年
↓↓↓
今はどこまで復興してるのか?


南相馬市活動ボランティアセンター
↓↓↓
南相馬市活動ボランティアセンター


気仙沼復興協会(略称 KRA)
↓↓↓
KRA



















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コメント

こんにちは!

はじめまして!
ブログへのコメントありがとうございました。

震災の傷跡は未だ癒えないのが辛いですね。
ここにぐさっときました。

それと来月から旅に出られるんですね。
ぼくの旅は終了ですが、いっぱいいろんなものを見て、しっかり記録に残してきてください。素敵な旅になること心から祈っています。

No title

コメントありがとうございます!!そうですね。まだまだって感じなんだと思います。

旅の参考にさせていただきたいのでまた見に行かせていただきます!

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